さとり世代の支援

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さとり世代の支援

先日、soraeの相談員、諸留さんが面白い記事を掲載してくれました。

「さとり世代って何だ…。」 »

「さとり世代」。。。
面白いですね〜。
というか、結局、時代背景が変わるとともにボクらも進化しなきゃいけないな〜と改めて痛感しました。

パソコンというものが世に出てきたとき、ボクは比較的早い段階で飛びついたほうだと思いますが、自分の社会人として初めていただいたボーナスで、AppleのMachintoshを買ったのを思い出します。Windowsやインターネットの登場の2・3年前でした。
でも今は2歳児がスマートフォンの画面を指でピッピッとイジってますもんね。

パソコンはライフスタイルそのものを大きく、しかも加速的に変え続けています。子どもたちを支援することを仕事とする大人としては、この世代ギャップはなかなか手強い障害です。新しい商品やテクノロジーを理解する、使いこなす、というのと、こうした商品によって子どもたちを取り巻く環境が変わり、子どもたちの傾向や抱える問題が変わっていく、対応方法も変えていかなければならない、という話は、当然ながらまったく違う話なわけです。

集団に適応できない子どもたちの教育に長く携わってきましたが、かつては自分の中で「必勝パターン」といえるような相談手法ができあがっていました。必ずしもすべての子どもたちをそのパターンに乗せることはできないにしても、ある程度はそれを軸に応用力でカバーできていたわけです。
でも、最近は、自分の引き出しではとっかかりがつかめないような案件にぶつかることもあり、ちょっと戸惑っていました。諸留さんの「さとり世代」の記事を読んで「なるほど〜」とまた考え込まないではいられませんでした。

今までの自分のスタイルは、アメリカで「アクティブ・リスニング」と言われる手法を使いながら、子どもたちの訴えを引き出しつつ、巻き込みつつ、具体的な作戦を共有していくことでした。

成功経験を探す

滑った転んだしたときに、踏ん張れるかどうか、切り替えられるかどうかは、やはり自分の中に成功経験の「貯金」がどれだけあるかにかかってくると思います。自分の足りない部分ばかりを気にして、もしくは足りない部分ばかりを指摘されてきて、成功部分を見つけられない子どもも多いものです。「失敗」の中にも必ず成功した部分(できた部分・頑張った部分)はあるわけで、それは周りが見つけてあげないと本人には見つけられないこともよくあります。「誉める」という言葉を使うと「ウソ」が含まれることがよくあるので、あえて「成功した部分を教える」という言葉を使いますが、やはり、何ができて、何ができなかった、というフラットな理解はとても大事だと思うのです。とにかく成功経験の「貯金」がなければ、滑った転んだもできなければ、転ぶ前の一歩さえ足が前に出ないのですから。

設計図を描く

「こうしたい」「こうだったらいいのに」という子どもの訴えを「完成品」と例えると、その実現のためには「設計図」というものが必要になります。もしかしたら、その組立に必要な部品も作る必要があって、そのための設計図も必要かもしれません。その設計図の精度が高ければ高いほど、完成品が実現する可能性が高くなるはずです。
でもなかなか自分が経験したことのない完成品の設計図を書くのは至難の業です。それは子どもにとってだけでなく、相談にのっている大人にとっても同じことです。クリエイティビティが試されるところです。
ボクは、子どもがどんな完成品に掲げていても、「それは無理」「貴方には難しい」とは絶対に言うべきではないと思っています。どんな無理難題であっても、どんな軽微なものに見えても、どんなに大人の目には邪道に見えることであっても、真剣に設計図を一緒に考えるのが大人の務めだと思います。
不思議と、設計図を描けることで、最初の一歩が前に出やすくなることが多くあります。一歩が出れば、二歩目、三歩目は出やすくなります。当然滑った転んだはあると思います。そうした経験も通して、設計図を書き直したり、場合によっては完成品を変更したりしていきます。結局のところ、大人の価値観の中で子どもが生きていけるようにするのではなく、子どもが自分で歩いて、自分で判断して、自分で軌道修正していけるようになるのが一番だと思うのです。

ただ、この手法もそうそうは上手くいかないことも多くなってきました。

「特に自分がしたいことは何もない」

「特に何も問題はない」

と言われてしまうと、何も始められないわけです。

本音を出してないのか? 本音でそうなのか?
ツボを押せてないのか? ツボがないのか?
いろいろ考えてもなかなか引き出し不足を解消できません。

世界的に価値観は変わってきています。
物欲が薄れ、金欲が薄れ、自然や調和を大切にして、
自分の中の幸福感や精神的な向上を求める
「カルチュラル・クリエイティブス」という人口層が30%を占める
という話を聞いたこともあります。

結局、自分も古い価値観の上に乗せようとしているからそもそも無理なんでしょうか?

じゃ、学校行かなくてもいいか?
働かないっていう生き方もありか?

。。。ん? いやいやいやいや。

ただ、まったく違うアプローチが必要なんでしょうね。

もっとズバーっ!と懐に入っていけるような。

個人的にはちょっと「キネシオロジー」なるものに興味を持ち始めています。

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